投稿 読書 エッセイ

「叱られる前提」で生きてきたボクが、お昼寝するまで

ある日のお昼前。

家族の中で一番最後に家を出て、ボクは買い物に出かけた。

SNSのメッセージが家族から届いた。

簡単にいうと

勝手にエアコンを消すな

と、いうこと。

ボクはこのメッセージにイラっときた。

どうして、エアコンを消しただけで叱られなくちゃならんのだ。

しばらくはモヤモヤしていた。 

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エアコンを消しただけなのに

今日も暑い。

夏の生ぬるい風を受けながらボクは自転車を走らせていた。

運転しながら考えている。

2階と1階の窓はカギを閉めた。

火は消した。

扇風機も消してある。

エアコンも消した。

家を出る前にカギを閉めた。

大丈夫。

家族が全員出かけてから自分が最後に家を出る。

そんな状況がボクは苦手だ。

何か忘れてないか?とても気になるから。

でも、大丈夫。問題ない。

全て完璧だ。

そんな時、SNSの通知音がスマホから鳴った。

ボクは自転車を止めてスマホを見た。

なんで?

誰もいないんだよ。

エアコン切らなくちゃ電気代もったいないじゃないか。

それにすぐ帰って来るなんて聞いてないし。 

思わず舌打ち。

しかもなんでこんな言い方されなくちゃならないんだ。

考えるほどに腹が立ってくる。

ボクはスマホをしまって、再び自転車を漕ぎ出した。

もちろんメッセージは既読スルー。

誰が返事なんかするものか。

そのまま用事を片付けにショッピングモールへ向かった。

叱られているわけではないのでは?

ショッピングモールの中は涼しかった。

別に涼むのが目的で来ているわけではないが、涼めるのはありがたい。

暑さが去って落ち着いた。

周りを見ると、休憩所やベンチ、お金を入れて動くマッサージチェアなどに座っている人が目立つ。

何をするでもなくただ座っているか、スマホをいじっているか。

会話しているひともいる。

どの人も別に大した用事があるようには見えない。

もしかしたらみんな、このショッピングモールに涼みに来ているのかもしれない。

それがメインの目的では無いとしても、涼むことが目的の一部に組み込まれている可能性はある。

ボクのように普通に買い物に来ていたが気がついたら涼んでいたなんて人もいるだろう。

涼しくなって冷静に人間観察が出来るようになったみたいだ。

冷静になってみてもう一つ考えることがある。

さっきの家族からのメッセージだ。

ボクはスマホを出して、もう一度メッセージの文面をみた。

さっき、自転車をこいでいる時に見た時は叱られている気がした。

そして、なんでエアコンを消したくらいで叱られなくちゃいけないんだと腹が立った。

今見ると同じメッセージなのに別の印象を受けた。

すぐに帰って来る予定だった。

だからエアコンを消していなかった。

消す時は一度先方に確認を入れて欲しい。

という内容。

この中にはどこにも叱っている要素がない。

単純に文章だけ見れば、エアコンについての要望を言っているだけだ。

別に叱られたわけではないのかもしれない。

思い直したがまだ少しもやもやしている。

叱られているわけではないのかもしれないが、はっきりこちらの誤解だとも言い切れない自分がいる。

さっきは既読スルーしたが、返事をする心の余裕ができた。

返信した。

前提が「叱られる」になっている

涼しさに名残惜しさを感じたまま、ボクはショッピングモールを出た。

あとは家に帰るだけで、この後用事は無い。

用も無いのに居座るのがイヤだった。

だから出たのだが、途端に灼熱地獄が展開された。

生ぬるい空気の中を自転車を走らせて行く。

途中、信号待ち。

信号が青に変わるのを待つ間に風が吹いた。

熱風には違いないがどことなく涼しさを感じた。

たぶん、自分がかいている汗と今吹いてきた風の相乗効果で涼を感じたのだろう。

少しだけ、爽やかな気分になった。

すると、またもやさっきのメッセージが思い出された。

思い出して気がついた。

ボクは叱られる前提でこのメッセージを見ていたことに。

このメッセージは家族が次からこうして欲しいと要望を伝えただけだ。

なのにボクは読み終えた途端に

叱られている

と感じた。

これはそもそもの前提が叱られる前提だからでは無いだろうか?

信号が青に変わっていた。

慌てて交差点を渡り、また自転車をこぎ出した。

ほどなく家に着いた。

家に着いたと同時に、全く解決していない問題に直面した。

叱られる前提を取っ払うために

以前、長く勤めていた職場を辞めた時に思った事。

結局、叱られるか叱られないかで仕事していたから上手くいかなかったんだ。

そんな反省をしていたくせに、変わらずにブレることなく叱られる前提で生きている。

まったくもって、褒められた心の持ちようでは無い。

昔から少しも解決していない心の問題。

それは「叱られる前提」で生きているということだ。

叱られる前提で生きているなんてつらい。

自分はもちろんつらいし、周りもつらい。

自分がいつだって叱られていれば、心がすり減っていく。

つらくないわけがない。

そして、周りも余計な気を使う。

普通に話しているだけなのに叱られていると思い、へこまれたら次に話しかけづらいだろう。

この叱られる前提をどうすれば無くせるだろう。

「𠮟られる前提」を一旦忘れた。

昼食がまだだったからだ。

インスタントラーメンを作って思う存分食べる。

お腹がいっぱいになったら眠くなった。

部屋で扇風機に当たりながら 大の字になって寝転んだ。

どうせ、すぐには解決しないな・・・。

この歳になるまでの50年と少しを叱られる前提で生きてきたのだ。

今さらすぐに直せるわけがない。

また、さっきのメッセージを思い出した。

さっきから文章を何度も思い返している。

何度も思い返しているうちに、叱られているわけでもないことに思い至った。

こんな風に文章として読み返して叱られていないと判断する。

感情ではなく無機質なメッセージと捉える訓練する。

今のところはそれしかないのかもしれない。

そんなことを思いながら𠮟られているかどうかも今はどうでもよくなった。

そのまま眠りに落ちていった。

おわり

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  • この記事を書いた人

むにゅひこ

普段は楽しく用務員さんをしているアラ環オヤジです。趣味は釣りと登山、下手な料理、読書、DIY、ソロキャンプです。このブログでは用務員さんの仕事で見つけたDIY、自分が適応障害だった時の経験、趣味のこと、何気ない日常のことなどを雑談感覚で書いています。また、自分がした買い物で「いい買い物をしたな」という情報を積極的にみなさんに発信しています。暇つぶしに雑談を楽しむようなブログがコンセプトです。

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