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怒られる 怒られないという基準で生きてはいけない 振り回されるだけ

この記事はこんな人におすすめです

  • 怒られないか常に不安
  • 怒られるのが怖くて嘘をついてしまう
  • 仕事で怒られるのが怖い

私はいつの間にか

怒られる怒られない

の判断基準で生きていました。

そして、心病みました。

今回は
怒られる怒られないで判断して生きることは
判断を他人に任せること

というお話です。

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怒られるかどうかで生きて心が病む

子供の頃から怒られないように、怒られないようにと日々を過ごしていました。

大人になってからは失敗して怒られる事、責任を取らされる事におびえてきました。

そして、他人の顔色をうかがい心を病んでしましました。

詳しくは以下でお話します。

この記事はかなりイヤなことを書いています。
画像だけは心がなごむようにカワイイわんちゃんにしています。

子供の頃、怒られない事が基準

自分で言うのもなんですが、私は子供の頃からいい子でした。

先生に怒られるようなことは一切しない子でした。

先生からは

マジメ 立派

などの評価を受けていました。

もちろん授業中や全校集会で私語をしたり騒いだりしません。

先生に注意される分だけ時間が延びるのが嫌だったからです。

しゃべっている生徒を横で見ながら

「やったら怒られることわかっているはずなのに。こいつらバカなの?」

とか思っていました。

でも、注意はしませんでした。

今度は同年代の子たちに怒られるからです。

社会に出て 「マジメなヤツ」だけど

社会に出て困ったことになりました。

何をやっても怒られるからです。

仕事を始めたばかりなので当たり前なのですが出来てないことばかりです。

当然叱られます。

ですが私は叱られると怒られるの区別がつかず、叱責もただ怒られているだけと思いへこみました。

大きなルール破りはしないので一応

マジメなヤツ

という評価は受けました。

ですが、怒られることが怖くて仕事ではびくびくしていて自信がありません。

信じられないようなミスを連発しました。

なので私の評価は

マジメだけど使えないヤツ

でした。

怒られるから嘘をつく

マジメだけど使えない私は日々もんもんと過ごしていました。

ある日ひょんなことからちょっとだけ仕事が評価され始めました。

おかげで少しだけ仕事が楽しくなりました。

ですが、私の判断基準は

怒られるか怒られないか

です。

そこに顧客や従業員、会社の為なんて言葉は存在しませんでした。

ちょっとは考えていたかもしれません。

でも、怒られそうになると判断基準は

怒られるか怒られないか

になってしまいます。

怒られるのが極端に怖くて嫌なのでなんとか避けようとします。

するとすぐばれる嘘や取り繕いをするようになります。

一生懸命仕事をしていました。

でも、怒られたくなくて嘘や取り繕いをしていまいます。

自分でもダメだとわかっているのですが、どうしても嘘や取り繕いをしてしまうんです。

そして、もともと受けていたパワハラがヒートアップします。

毎日「オマエが悪い!」と言われ続け、ついに心を病みました。

病名は「適応障害」でした。

そして、会社を退職しました。

怒る怒らないは他人の基準 

どうして、心を病んで会社を辞めることになったのでしょうか?

それは怒られるか怒られないかの判断基準で生きてきたからです。

怒る人は結局何しても怒ります。

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怒るのは感情の発露です。

つまりは怒る人側の感情の問題です。

怒る怒らないは自分ではコントロールできない他人の基準なのです。

怒られる怒られないを判断基準にするということは

他人に自分の判断基準を与えてしまっている

ということだと私は思います。

このことに気がついて私は生きづらさの原因が一つわかりました。

まとめ 怒られる怒られないは他人の基準

怒られる怒られない

の判断基準で生きるということは自分の判断基準を他人に任せるということ。

自分ではコントロール不能なことを気にしながら生きていくということです。

コントロール不能な事に一喜一憂していると心病みます。

自分の判断基準は自分でしっかり持っていてください。

  • この記事を書いた人

むにゅひこ

主に釣りと登山をこよなく愛する雑談好きなおじさんです。

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