この記事はこんな人におすすめします。
毎日、仕事がつまらない
休日が無い
休日でも仕事の事を考えて気が休まらない
仕事の事を考えて眠れない
仕事に行きたくない
オマエが出来てないから悪いと責められている
注意
この記事は私が適応障害になるまでの体験記です。
なるべく柔らかい表現を使用していますが非常に不快な思いをするかもしれません。
もし、不快になったらすぐに読むのをやめてください。
私は適応障害で会社を辞めました。
適応障害は心療内科で診断される心の病気です。
これについては後で触れます。
このブログを読む人が適応障害になる前に現状から逃げ出せたらいい。
そんな思いでこの記事を書きます。
今回は
私は適応障害という心の病いになってしまった
そうなる前に見直すチャンスはあったのに
そんなお話です。
※ 本ページはプロモーションが含まれています。
心の病いになる前になんとか出来たかもしれない
私が適応障害になったステップはざっくりこんな感じです。
- もともと自分に向いていない職を選んだ
- 会社の方針に疑問を持つようになった
- 住宅ローンに追われる日々
- 仕事がどんどん上手くいかなくなる
- パワハラが始まる
- 仕事場に行けなくなった
適応障害という心の病いになる前になんとか出来たかもしれません。
以下、詳しく見ていきましょう。
適応障害 ざっくりこんな病気
私は適応障害と診断されてしまいました。
ここで適応障害という心の病いをざっくり説明します。
私の主治医の先生から受けた説明です。
仕事や学校など環境の変化のような明らかなストレスの原因があり体や心に不調が現れる
うろ覚えですがだいたいこんな感じです。
あと、私が調べたところでは以下のサイトが解りやすかったのでのせておきます↓
適応障害になりやすい人「職場で頭が回らない」「仕事ができなくなった」は要注意
NHK きょうの健康 家族で知ろう 心の病気 「適応障害」
私が適応障害になったステップ
私は適応障害になりましたがある日突然になったわけではありません。
今思えば、段階を踏んで徐々に適応障害に近づいていった気がします。
次に私が適応障害になったステップを簡単に書きます。
1 向いてない仕事を選んだ
就職難の時代に就活していた私に取って選択の余地はないと思って前職に就職しました。
私は営業だったのですがつくづく向いてないと思いました。
臨機応変な対応。
人の気持ちを先読み。
誰にでも合わせる豊富な話題。
ムリムリムリ!
よく、続いたもんだと呆れています。
向いてない仕事は心にも体にもストレスがかかります。
2 会社の方針に疑問を持つようになった
それでも就職してからなんとかやってました。
ある日、社長がとある理由で交代しました。
そこから、
- 無駄な報告会
- 無駄に人を集めるおじさん主催の会議
- 現場からの希望という名のトップダウン
が始まります。
ほとほと嫌気がさしました。
それに逆らったまともな人が次々と退職や左遷になるのもつらかったです。
これで仕事が楽しいはずがありません。
楽しいどころか耐えられるレベルを徐々に超えてきました。
3 家購入 住宅ローンの圧力
私は10年前にマイホームを購入しました。
今ではとても後悔しています。
家を買うことで引っ越しができなくなりました。
もちろん転勤はできません。
単身赴任も考えましたがあきらめました。
前職で単身赴任制度はあるけど基本認められないという意味不明な状況だったからです。
住宅ローンを支払い続けるという縛りもできました。
これで仕事がやめられないという漠然とした恐怖感で仕事をするようになりました。
これ重要です。
自分の選択肢を狭める、無くす事は適応障害など心を病む原因になります。
4 どんどん上手くいかなくなる仕事
もともと向いてない仕事。
会社のおかしな方針と活動。
マイホーム購入により自分の選択肢をさらに狭めて首を絞める。
こんなんで仕事が上手くいくわけがありません。
仕事では常に何かトラブルがある状態が続きます。
やってもやっても終わらない仕事。
解決しない問題。
そのうちに小手先で取り繕うようになります。
その場はそれでしのげてもだんだん問題は蓄積されていきました。
今思えば、この時から自分が病んでいると意識し始めたと思います。
でも、やめられない。
この時の私には選択肢はありませんでした。
5 パワハラが始まる
上手くいかない仕事に病んでいた私。
上手くいっていないので周囲に迷惑がかかります。
上司がイライラし始めました。
「なんでこんなこともできないんだ!」
的な話が続きます。
指導と称して続く電話とメール。
就業時間が終わってもそれは続きました。
「オマエのためにやってるんだ!」
という上司が私にしていることは明らかに人格破壊でした。
何をやっても指導と称する人格破壊がやってくる。
私はもう、どうしていいかわからなくなりました。
ついに仕事場に行けなくなった
自分の事を客観的に見ることができたのは意外にも健康診断でした。
昨年の同じ時期に比べて体重が7kg落ちていたのです。
看護師さんが
「間違いかもしれません。計測しなおしましょうか?」
と言いましたが私はお断りしました。
たぶん、間違いないからです。
食欲が全く無くなっていたからです。
朝、昼は食べない。晩ごはんだけ何とか食べる。
夜は仕事のことが気になってほとんど眠れない。
そんな日々だったので体重が減ってもおかしくないなと自分を客観的に見ることができました。
そして、ある日突然それはやってきました。
いつものようにマイカー出勤した私は会社の駐車場で車から降りることが出来なくなりました。
それでもその日はなんとか仕事しましたが次の日心療内科を受診しました。
初めて「明日休ませてください。」と上司に言いました。
受診した診察結果は適応障害でした。
適応障害になる前に 逃げ時のサイン
適応障害となり仕事が出来なくなりました。
ですが、今思うと適応障害になる前に逃げるタイミングはあったように思います。
しかも1度ではなく何度もありました。
会社に3回退職を願い出た時
じつはこんな状況になる前に私は3回
「会社辞めまーす」
と、言ってます。
でも何故か素直に辞めさせてもらえませんでした。
1度目は就職して2年目で父親からこっぴどく怒られました。
2度目は直属の上司は「やめれば」と言ってくれましたがさらに上から説得されました。
3度目は上司や周りからめちゃくちゃ止められました。
この3回のうち、どこかで辞めていれば状況は変わったかもしれません。
敬愛していた上司が追いやられた時
先に書きましたが社長の交代劇があって会社の方針が随分変わりました。
具体的なことは書けませんが、おかげでいろいろな不具合が発生します。
当時、私が父のように兄のように慕っていた上司は真っ向からそれに逆らいました。
結果上司は左遷されました。
この時からでも逃げる準備を進めていれば今よりもマシな状態になっていたかもしれません。
会社の方針に疑問を持った
社長が交代したことで会社の方針がいろいろ変わりました。
この変更にとても疑問を持ちました。
本社の人間が観光するための出張。
自分の権威を示すために召集される会議。
発表の為だけに徹夜で資料を作り改善されない現場。
でも、今にして思えば
「そんなに不満なら出て行けばいいじゃないか」
と思うんです。
その当時は選択肢は会社にかじりつくしかないと思い込んでいたので考えもしませんでした。
今の私がこの当時の私にアドバイスできるなら転職を勧めます。
単身赴任ができない
家を買ってしまいました。
しかも単身赴任制度はあてにできません。
転勤を命じられたら家を売るか貸すしかありません。
自分で自分の首を絞めたようなものです。
そんな状況なら覚悟を決めて転勤のない会社に転職すべきでした。
仕事が上手くいかなくなった
もともと向いてない仕事をしていたので仕事が上手くいかないなんてことはちょいちょいありました。
(会社にとっては迷惑な話だと思いますけど)
後々思ったのですが、特に仕事が上手くいかなくなったのは休職の2年ほど前からです。
このあたりから辞めることを真剣に考えていればよかったとつくづく思います。
このあたりが最後の逃げ時だったかもしれません。
逃げ出すチャンスで逃げ出せなかった結果 心を病む
書いて来た通り、逃げ出す機会はあったと思います。
でも逃げ出せませんでした。勇気がなかったからです。
今までの環境から飛び出すことって思っているより怖いことでした。
- ローン払わなけば
- 引っ越しも転勤もできない
- こんな自分に転職先なんてない
自分で自分の選択肢を狭めて、自分を檻に閉じ込めました。
私は逃げ出すチャンスに逃げ出せず、ひたすら我慢しました。
そして適応障害となり休職し、そのまま退職しました。
今でもたまに前職の夢を見て夜中に目が覚めます。
それくらい心の傷は自分が思っているより根が深いんです。
今、思えばもっと真剣に逃げ出すことを考えていればここまで酷いことにはならなかったと思います。
今の私がこの当時の私にアドバイスできるなら
「その会社、その職種、その収入でなくてもやっていける。」
と言ってあげます。私は今、そうして生きているから。
読者のみなさんは私のようにならないで欲しいと願うばかりです。
まとめ 適応障害になる前にどうか逃げて
私が適応障害になったステップ
- もともと自分に向いていない職を選んだ
- 会社の方針に疑問を持つようになった
- 住宅ローンに追われる日々
- 仕事がどんどん上手くいかなくなる
- パワハラが始まる
- 仕事場に行けなくなった
適応障害にならずに済むチャンスがありました。
下記の状態でおかしいと思えば抜け出せたはずでした。
- 会社に3回退職を願い出ている
- 敬愛していた上司が追いやられた
- 会社の方針に疑問を持った
- 単身赴任ができない
- 仕事が上手くいかなくなった
これらのどこかで前職を抜け出したら適応障害にはなっていなかったかもしれません。
次回は適応障害と診断されてからの休職、退職について書く予定です。