命日が近いせいなのか?
亡くなった親父との思い出がちらほら思い出されます。
世の中の所謂普通の親父とは少し違った親父でした。
いくつかある親父との思い出から一つ紹介します。
今回は親父と私が最後にまともに会話した話題と、親父の息子に対する接し方についてです。
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最後の会話は「尖閣諸島問題」下問
亡くなった親父と話した最後のまともな会話。
記憶に残っているのは尖閣諸島問題です。
ちょっとなに言ってるかわからないと思います。
正確には尖閣諸島問題について、親父から私へ下問がありました。
質問とか、雑談とかではなく確かに下問でした。
親父に聞かれました。
「君は尖閣諸島問題についてどう考える?」
ただ、聞かれているのではありません。
上司が部下へ、主君が家臣へ下問する雰囲気でした。
この時、私は出張の途中で実家に寄っていました。
その後、自分の住む地方に私は戻りました。
これが元気な親父を見た最後になるとも知らずに。
尖閣諸島問題に対する私の答えは覚えていません。
私の答えを聞いた親父のつまらなさそうな態度だけ覚えています。
上司にしたくない親父
私が大人になるにつれて、親父は私に上司のように接してくるようになったと思います。
社会人の先輩として何か教えたかったのか?
ただ、社会で成功して欲しいが故の厳しさだったのか?
だんだん付き合いづらくなっていったのを覚えいます。
仮に私の親父みたいな人が職場の上司だったら?と考えます。
イヤです。
まず、精神が持たないでしょうね。
私の親父の全盛期って、例えるなら虎です。
虎をそのまま人間にしたらこうなるんじゃないか?
と、息子ながらに思っていました。
そんな虎上司がオフィスで奥の席からずーとこっちを見ている。
そして、時々
「おい、君」
何て言われて下問を受けるわけです。
やってられません。
私の「子供への接し方」 流れのまま
親父が私に教えたかったのは学歴社会で生きていくには?
ということだったかなと、思います。
親父自身がかなり高学歴でした。
だから親父が世の中を渡る方法は学歴が基本ベースになります。
そんな親父の息子なのに、私は学歴で生きていけないタイプでした。
バカ息子に対して親父はかなりイライラしていたと思います。
受験生の時にかなり怒られました。
なのに私ときたら勉強もせずに予備校サボってデパートの屋上で読書三昧。
後に親父に勘当されますが、まあ当然ですよね。
その後、和解したもののやっぱり最後の会話は下問なんです。
「君は尖閣諸島問題についてどう考える?」
今、自分も子供を持ち父親になってみて思いました。
ああ、自分も親父と同じようなことしてしまっていた。
下問こそしませんが、子供たちに自分の気持ちを伝えたいと空回り。
教え方が厳しくなったり、上司が部下に接するように接してしまったり。
それに気がついたのは親父の下問のおかげかもしれません。
気がついたので、ある時から子供へ何か伝えようとするのを一切やめました。
子供なんて自分の素養で勝手に育っていくものです。
それを無理やり自分の「こうあって欲しい」に持っていってはいけない。
それをやるとかつての私と親父のようになってしまいます。
子供の素養を信じて流れに任せよう。
私の今の子どもへの接し方は間違っているとは思いません。
親父の思い出からもらった教訓が今、こんな形で生きてるんです。