命日が近いせいなのか?
亡くなった親父との思い出がちらほら思い出されます。
世の中の所謂普通の親父とは少し違った親父でした。
いくつかある親父との思い出から一つ紹介します。
(今回はバカ息子に我が家の天井をぶち抜かれたエピソードです。)
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天井をぶち抜く!
早速ですが私は子供の頃、我が家の天井をぶち抜きました。
当時の私は小学校の中学年くらいでしたでしょう。
季節は3月末から4月あたまくらい。
私の住んでいたところは雪深い北国です。
3月末から4月といってもまだ雪が残っています。
寒い中天井をぶち抜いてしまい家の中には寒風が・・・。
事の顛末は次の通りです。
子供たち屋根に登る
雪深い北国なので3月末とはいえ雪解け中の雪が残っています。
屋根の軒下に雪が重なっています。
子供でも屋根の上に平気でのぼれます。
私は友達数名と屋根の上に登りました。
当時の我が家は平屋の社宅です。
私はその時なんとなく言いました。
ああ、2階が欲しいな
屋根に上っていたメンバーの一人が屋根に窓を見つけました。
窓と言っても締め切りで開かない窓です。
メンバーの一人が締め切り窓をカタカタゆすったらガラスが外れてしまいました。
ボロい家だったんですね。
天井裏に侵入 悲劇の始まり
締め切り窓が開いてしまいました。
子供なら中に入れそうな侵入口ができたわけです。
誰かが言いました。
「入ってみようぜ!」
1人、2人とメンバーは侵入口から2階になるかもしれないフロンティアに入っていきました。
結構高い天井で子供たちが立って歩けるくらいの余裕はありました。
私は順番の並び上一番最後に入ることになりました。
順番を待っていると私の前の子が止まります。
天井裏から聞こえる悲鳴!
友だちの肩越しに見た光景は一番最初に入った友達の惨状でした。
天井裏が抜けて我が家に落ちそうになっています。
慌てた別の友達がこちらへ逃げてきます。
そこかしこに穴を開けながら。
並んで説教される
事件当時、私の兄と姉が家にいました。
おそらく姉は不在だった母に連絡していたのでしょう。
命からがら逃げかえった我々はひとまず地上に下りました。
そこに待ち受けていたのは私の兄。
兄は当時中学に上がったばかりか?小学校6年生か?
兄は厳かにいいます。
「まずはオマエら、そこに並べ!」
全員うなだれて並びます。
「オマエら、何したかわかってんのか!」
泣く子、黙ってうなだれる子、様々です。
私はというと、ケロッとしていました。
兄貴でこれだけ怒られるのです。
親父が仕事から帰って来たらただで済むわけがありません。
子供ながらに覚悟が決まったのでしょう。
もうどうにかなるレベルではない。
当時の私はそんな心境だったと思います。
生きるも何も全て天にゆだねたような、そんな心のあり様だったのかな。
親父 豪快に笑い飛ばす
その後どうなったのかよく覚えていません。
メンバーの親御さんたちがかわるがわる我が家にお詫びしに来ました。
それだけはなんとなく覚えています。
母には・・・。
怒られませんでした。
まぁ大変とかいってる感じです。
そして、真打登場!
親父が家に帰ってきました。
ですが、特段何も言われず終わりました。
後で母から聞いた話ですが
「お父さんの職場に電話したらね、お父さんわらってたわよ」
だそうです。
息子のバカな所業を聞いて最初は無言。
その後、電話の向こうで豪快に笑っていたそうです。
余談ですが、社宅なので会社の方が修理手配します。
天井裏をぶち抜くなんて例が無いそうです。
そりゃそうですよね。
親父が亡くなっています。
今ではあの時どんな思いだったのか?聞くすべはありません。
私は子供ながらに叱られなかった安堵よりも親父の豪快さを感じていました。
今、このエピソードを思い出して
親父、すごかったなぁ
と、思うばかりです。