命日が近いせいなのか?
亡くなった親父との思い出がちらほら思い出されます。
世の中の所謂普通の親父とは少し違った親父でした。
いくつかある親父との思い出から一つ紹介します。
今回は親父が自分の母親の葬儀で見せた意外な行動についてです。
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母親の死顔をそっとなでる親父
親父の母親の葬儀の時です。
(つまりは私の祖母の葬儀です。ここからは紛らわしいので祖母という言葉は使いわず、親父目線で母親と表記します。)
親父は長男なので喪主でした。
いろいろ大変なんですけど涙一つ見せず対応していました。
棺桶に収められた自分の母親の周りにはきれいな花が飾られています。
親父自身が花を手にとって参列している人たちへ
「みなさん、どうかお花を供えてあげてください。」
と言って棺の中に花を供えました。
参列者が次々と花を供えていきます。
そんな中、親父は母親の死顔をそっと、やさしく撫でていました。
普段の親父からは考えられない一面を見てしまいました。
驚きつつ、私はその横顔を見ていました。
カッコイイと思いました。美しいとも思いました。
父親の葬儀で終始一貫あぐらな親父
親父の母親が亡くなるもっと前に親父の父親が亡くなっています。
親父は喪主としてお坊さんが読経している最前列に座っていました。
私はその背中を遠かったこと、親父だけが正座しておらずあぐらであったことを覚えています。
葬儀に対して不真面目というわけではないのですけど・・・。
たぶん、足がしびれたとかじゃなくて単純に正座が面倒くさかったんでしょうね。
物事が面倒くさいと思ったら何がどうでも絶対やらない親父でしたから。
寺にいくら金つぎ込んでやがる!母親に文句
親父の母親はお坊さんのライセンスを持っていました。
仏教に帰依する事とても熱い方で、ついに得度を受けてしまった程です。
それには理由があります。
親父がまだ赤ん坊の頃、謎の高熱を出しました。
もう助からないだろうということでしたが母親はあきらめませんでした。
お寺でお百度参りを毎日したのです。
ある晩夢に仏様かなんかが現れ助けてやるといいます。
その代償として親父の母親は肉食を断ちました。
(鳥と魚は例外です。牛や豚など古い言葉で言う四つ足の肉食を禁じたようです)
親父の母親は親父が助かったことを感謝し深く仏教に帰依し、生涯肉食をしませんでした。
ある日親父が
「うちのばーさん、いったいどれだけ坊主に金をつぎ込んでるんだ!」
と怒っていました。
どれだけつぎ込んだ?のか私は知りません。
親父の母親の葬儀後、位牌を見たらなんとなく想像がつきました。
位牌に書いてある戒名がものすごい。
権ほにゃらら なんちゃら院 ふんじゃら師 なんとか大姉
こんな戒名初めてみました。
仏教系に詳しい私の友達に話したところ
「すげーなー。そんな戒名今まで見たことも聞いたことも無いぞ。」
だそうです。
親父のグチもなんかわかる気がします。
仏壇で手を合わせることなく逝った親父
私の記憶で親父が仏壇に手を合わせている姿はありません。
近よることもありません。
私の母曰く
「お父さんがお仏壇の前に行くのはお供え物食べる時だけよ」
だそうです。
小腹がすいて、お供え物の饅頭なんかを狙って仏壇に近づくだけみたいです。
まったく子供じゃないんだから。不信心にも程があります。
なんやかんやで愛
母親の仏教帰依には悪態をつく。
父親の葬儀では正座が面倒くさく、終始一貫あぐら。
お供え物にしか興味が無く仏壇で手も合わせないあからさまにな不信心。
こんな親父でしたが母親の葬儀では常に真摯でした。
その真摯さから母親に対する愛情がうかがえます。
親父はあまり自分の事を話すタイプでは無かったですが、やはり母親のことは愛していたのでしょう。
葬儀の時、母親の顔をそっと撫でていた親父
その姿に親父の不器用な愛情が詰め込まれていたように思えます。
だから、今思い返しても
美しい
と思えるのかもしれません。