命日が近いせいなのか?
亡くなった親父との思い出がちらほら思い出されます。
世の中の所謂普通の親父とは少し違った親父でした。
いくつかある親父との思い出から一つ紹介します。
今回は子供には不器用だった親父と私、休日のワンシーンです。
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親父に遊びに誘われる!?
小学校の中学年くらいの時でしょうか?
親父がめずらしいことに平日に休みでした。
深夜勤務明けだったのかもしれません。
そしてもっとめずらしいことに
「おい、遊びに行こう」
と誘われました。
本当に本当にめずらしいことでした。
私から誘うことはまったくありません。
親父からもありません。
全く接点がない親子が遊びに行くことに
さまよって、麻雀
遊びに行こう。
そうは言ってもそこは私の親父です。
一般的な父親のように遊園地だの公園だの普通に遊びには行きません。
具体的に何をしたのか?
ひたすら散歩です。
季節は5月。
天気が良くていい気分でした。
まあまあ暑い日でした。
自販機などありましたが全てスルー。
延々と歩き続けます。
本当にお金を使わない人でした。
その間、私と親父の話題といえば
海で遭難して無人島に行き着いた人の話
でした。
で、ヘトヘトになって帰ってきました。
でもまだ続きがあります。
二人で麻雀です。
親父と夕方になるまで二人で雀卓に向き合って座ります。
夕方までずっと麻雀をして過ごしました。
今にして思えばわけがわかりません。
祖父と叔母のエピソード
今、このエピソードを書いていて私の叔母の話を思い出しました。
叔母は親父の5つ離れた実の妹です。
叔母が小学校6年生の時、祖父が
「遊びに行こう」
と誘ってくれました。
そして、行った先はなんと料亭。
ししおどしなんかが鳴っている和風庭園に面した和室。
庭園をみながら祖父と叔母が対面し、正座してお膳を頂く。
「楽しいね」
祖父の言った一言。
小学生の女の子が料亭に来て楽しいも何も無いと私は思いました。
叔母のコメントを聞いていろいろ納得しました。
「私の父はね。マジメ過ぎて遊びを知らなかったのよ」
だそうです。
それでこのエピソードを聞いて分かったこと。
子供と遊ぶ能力皆無は遺伝でした。
親になった自分は?遊びましたよ
子供と遊ぶ能力皆無な家系に生まれた私。
私は子供と遊べたのでしょうか?
遊んでいた自覚はあります。
でも、お金はあまり使いませんでした。
ゴムボール野球、サッカー、鬼ごっこ、かくれんぼ、高おに、チヨコレイト、ゴム飛び、シャボン玉
いろいろやりました。
ゲームするようになって私がゲームについていけなくなりました。
その時までは一緒遊びました。
意外と自分も楽しんでいたように思います。
全部、親父や祖父を反面教師にした結果です。
自分の家系が子供と遊べない家系とわかっていたから意識したのでしょう。
反面教師として親父には感謝ですね。
不思議なことにあの時の麻雀がいい思い出になっています。
思い出が美化された結果なのでしょうか?
不思議なものです。