命日が近いせいなのか?
亡くなった親父との思い出がちらほら思い出されます。
世の中の所謂普通の親父とは少し違った親父でした。
いくつかある親父との思い出から一つ紹介します。
今回は北国の過酷な現実の中で無事生還した親父のエピソードです。
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吹雪の夜行き倒れ
恐らく私が小学校2年か3年生くらいの時のお話です。
もう50年近く前の話でしょうか。
その日は隣町に住んでいるいとこが泊りがけで遊びに来ていました。
二人で楽しく遊んでいました。
子供のころ私が住んでいたところは北国です。
雪がとても積もる地方です。
この日の夜は吹雪でした。別に珍しい天候ではありませんでしたけど。
夜も更けて子供は寝る時間です。
私といとこはおフロに入ってパジャマに着替えています。
そんな時、私の母が言います。
「お父さん、遅いね」
仕事人間で日曜日でも出勤するような親父の帰りが遅いのはいつもの事。
でも、この日の母は何か不安を感じたのでしょう。
そして、その予感は的中します。
突然、玄関のドアをドンドン叩く音。
「奥さん!開けてください。奥さん!」
何事かと思い玄関へ走る母と私といとこ。
ドアを開ける母。
その先に立っていたのは・・・。
体を雪まみれにした親父。
その親父を担いできた私の同級生のお父さん。
一体何があったのか?
無事?生還 そしてゲロ
私の友達のお父さんが説明してくれたところによると。
帰り道、道で倒れている親父を見つけて家まで連れて来てくれたとか。
どうやらグダグダに酔っぱらって家までたどり着けず行き倒れになっていたもようです。
友だちのお父さんにお礼もそこそこ母と私はとりあえず親父を玄関へ運びました。
家の玄関から廊下にあげたその時。
オエ
親父がゲロを吐きました。
そこで母が
「もうっ憎ったらしい!」
と言い放ち親父の頭をぶっ叩きました。
自分でも不思議なのですが私の記憶はここで終わっています。
その後、行き倒れの親父をどうしたのか?
まるで記憶がありません。
その後、何事も無く暮らしていたのでこの件は丸く収まったのでしょう。
母がこの後どのように行き倒れの始末をしたかはわかりませんが。
さぞ苦労したと思います。
親父の幸運に感謝
この歳になって自分も酒を飲むようになって思います。
あんなに飲まなきゃいけなかった親父に何があったのか?
辛いことがあったのでしょうか?
それともうれしい事があったのでしょうか?
親父が亡くなった今、それはたぶん誰にもわかりません。
一つ言えることは親父の幸運です。
北国の自然は過酷。吹雪の日にいつまでも外になんていられません。
あの吹雪の夜、友達のお父さんが親父を見つけてくれなかったら?
親父を助けてくれなかったら?
親父が既にこと切れていたら?
吹雪の中、朝まで親父が放置されていたら?
たぶん親父の人生はそこで終わっていたでしょう。
今考えると怖くなります。
つくづく、親父は幸運だったなと思います。
今でもこの話は笑い話としてたまに雑談ネタになってます。
親父が幸運で無事に?生還したからです。
人の運ってこんなものだなと思います。
生き残る人はなんやかんやで運よく生き残るものなんですね。
親父の幸運に感謝します。